浮気はいけないっていうけれど、実際はどうなのかという問題はここの責任や関係上の問題になるので、一概に他人が言えるものではないと思う。

相互の関係上なのか上辺だけの関係なのかで心の距離は変わるもの。

私は浮気されるのは自分の器量が足りていないということだと思うし、私がする場合は完全に穴埋めとしか思っていない。されてもしても仕方のないことだと思ってる。

しかし私が思うには浮気は裏切りではないと思う。裏切りはもっとひどいことであり、裏切った相手は反省することもない。当たり前のように約束を破り、当たり前のように人に傷をつけていくんだと思う。

二〇一五年九月の裏切りだけはもう一生忘れることはないんだと思う。あいつとは八月十六日に心がないって分かってたから分かってた結末だったし、あの男は十七日の夕方に友人の彼女といちゃついてたから聞いてみたんだ―さぎりんに手を出さないよね?―って、そうしたら―彼氏は友人だし、裏切る気はないよ―って、―言い寄られたらそれは行くけど―って言ってたのを思えてる。この言葉があいつの裏切りの中で一番大きい言葉かな。

私がサヨナラ言ったのは九月九日。ただ一言―今までお世話になりました。―。あいつはそれに対して―今までもこれからも何も変わらないままでいたい―って言った。これが次に大きな裏切り。

私は確かに言ったさ、いろんな人に―あんたが友人の彼女を寝取った―って。その言葉を発するときに自分とあいつの関係も話すことは覚悟してたさ。いろんな友人とも気まずくなるのも覚悟はしていた。あんただって言ったじゃん。―すべてを失う覚悟はある―って。なのになにも覚悟してなくて、すべてを人のせいにして逃げたじゃん。これがいつまでもずっと腹立たしくて、いつまでもずっと残っている恨み。

とはいうものの、私は欲しいものは手に入ったし、もうなにもしたいこともなくなったから、ある意味感謝もしている。

私が人とかかわる意味も、だれかと話をする意味も、誰かを信じる気持ちも消え失せてしまうには、本当にあなたという存在はありがたいことでした。何もかもを諦めるのに貴方は一生涯私の記憶の中で生き続けるのですね。

貴方のこと、この関係の話はこれが最後の言葉になるとは思います。もう誰にも話さないし、もう、だれにも伝えることはありません。この文はサイトが消えるまで一生のると思いますが、それもまた、私の覚悟です。しかし私の生涯の中で、『事件』という単語としてちょくちょくは出てきます。

「顕太」という名前も忘れないし、記憶から消えることはないです。

貴方は寝とった彼女と貴方ののトラウマになることは強制してでも止めたのに、人のトラウマを植え付けることに躊躇いませんでしたよね。私は関係が始まるときに私のトラウマは何かとはっきりと伝えました。貴方は欲した女の体が手に入ればそんなこと忘れるんですね。